代々木ゼミナールの予備校文化について考える・その1

コラム

先日、『予備校文化(人文系)を「哲学」する』という非常に興味深いイベントが開催されました。

現役の駿台講師である大島保彦師霜栄師、そして青山学院大学教授で元駿台講師の入不二基義師によるイベントで、司会はかつて霜師や入不二師の授業を受けていたというライターの斎藤哲也先生が務めました。

かつての駿台を回顧する同窓会的なイベントかと思いきや、「予備校文化」について語り尽くし、お三方による「ミニレクチャー」まで行われるという大変充実した内容でした。

「予備校文化」について興味がある方は必見のイベントではないかと思います。

アーカイブでの視聴は可能なようです(※2024年5月8日時点)。YouTubeでイベントの冒頭部分が公開されていますので、興味のある方はぜひご覧になってください。

さて、このイベントでは主に駿台について、そして河合塾との比較で「予備校文化」について語られていたのですが、時間の都合で三大予備校の一角である代々木ゼミナールについての言及があまりありませんでした。

そこで、ここでは代ゼミにおける予備校文化について考えてみたいと思います。

と言っても、昔の代ゼミについてそんなに知っているわけでもなく、資料もないので、ふわっとした内容になることをお許しくださいw

1970年代:小田実と市民運動の時代

1957年に創設された代々木ゼミナールは、有名な大学教授や都立高校の先生を講師として招聘するというのが売り物でした。

こうして「講師の代ゼミ」と呼ばれるようになるわけですが、この当時は代ゼミに独自の「文化」と呼べるようなものはあまりなかったのではないかと思われます。

転機となったのが1960~70年代で、当時は学生運動が全盛となり、若者たちが強い影響を受けていました。

そこで代々木ゼミナールでは、作家の小田実先生を英語の講師、代ゼミ世田谷寮の寮監として招きます。

小田実先生は『何でも見てやろう』(1961年)がベストセラーになり、若者に人気があった市民運動のリーダーでした。

これが評判になって代ゼミは多くの受験生を獲得したと言われています。

市民運動家が予備校の「客寄せ」になっていたというのは今では信じられないかもしれませんが、まあ当時はそういう時代だったわけですね。

小田先生の授業は受験にはあまり役に立たなかったという声もありますがw、小田先生と共に活動していた英語の吉川勇一先生、数学の土師政雄師といった名講師も代ゼミに加わります。

この市民運動系の人脈が後に代ゼミの中で隠れた流れになって、何人もの名講師が集うきっかけの一つとなったのです。

ちなみに小田実先生は予備校講師としての経験を踏まえて受験についての本も書かれています。

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「代々木アジア大学校」という試み

さて、小田実先生は予備校の授業だけでなく、より幅広い活動を代ゼミで行っていました。

それが小田先生の提唱で始まった「代々木アジア大学校」という連続講座で、代ゼミの教室を借りて多くの文化人を呼んで講演会を行ったそうです。

予備校生だけを対象にした講座ではなかったようですが、その詳細は資料がほとんど見当たらないためよくわかりません。(始まったのは1974年らしいのですが、いつごろまで続いたのかも不明)

ただ、後に河合塾で「河合文化教育研究所」が設立(1984年)され、文化人を呼んで講演を行っていましたが、それよりも10年も前に自主講座という形で似たようなことが行われていたというのは事実でしょう。

というよりも、「代々木アジア大学校」のコンセプトの一部を、河合塾において引き継いだものが「河合文化教育研究所」だったのかもしれません。

河合文化教育研究所の創設に尽力した牧野剛先生は、市民運動を通して代ゼミの講師とも交流があったようです。

また、代ゼミの講師だった芦川進一先生は河合塾に移籍後、河合文化教育研究所の研究員となって「ドストエフスキイ研究会」を主宰しています。

小田実先生自身も代ゼミを辞めた後、河合文化教育研究所の主任研究員に就任していたりします。

こうした人の動きを見れば、何らかの形で「代々木アジア大学校」の影響があると考える方が自然でしょう。

このように、河合塾の「外から招き入れる」という文化は、すでに70年代の代ゼミに存在していたのではないかと思われるのです。

ところが、1980年代後半になると、代ゼミもまた新しい時代を迎えることになります。

――というわけで次回に続きます。

参考文献
祐本寿男「成長期の予備校英語教育―我が青春賦―」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/hisetjournal1986/9/0/9_177/_pdf/-char/ja

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