英文解釈、「左から右へ読む」か「全体を見る」か~伊藤和夫と富田一彦

『ビジュアル英文解釈』などの伊藤和夫師の参考書では、「左から右へ読む」ということが強調されています。

英文を読む時は返り読みをせず、読んだ順に理解していくということですね。「直読直解」とも言われます。

これに対して、富田一彦先生「まず全体を見よ」と言います。

部分で判断するな、必ず文全体を見て判断せよ、というわけです。

全く違うことを言っているようですが、どういうことなのでしょうか?

今回は「英文解釈」の根本にある考え方についてちょっと見ていきたいと思います。

ちょっと小難しい話になりますが、お付き合いください。

なぜ「左から右へ読む」なのか?

伊藤和夫師はなぜ「左から右へ読む」ということを言ったのでしょうか?

実は、これは「言語」というものの性質に大きくかかわっています。

音楽の理解の方法はただひとつ。音の流れに身をまかせ,最初からその順序に従って聞いてゆくことだけだ。音楽のテープを逆まわしたり,思い付きで飛び飛びに聞いたところで音楽が分かるはずはない。英語の文だって,先頭からその流れに沿って読まなくちゃいけない。

伊藤和夫『伊藤和夫の英語学習法』(駿台文庫)

言語というものはまず音声として存在するものでした。

文字が発明されるのは、人類がコトバを操るようになってからずーっと後の話です。

だから「コトバは音楽に似ている」というわけですね。

言語学では「言語の線状性」ということが言われます。

コトバというのは一本の線のようなもので、必ず時間に沿って順番に話されるということです。

ヒトは同時に複数の違う音を発音することができません。

だから必ず、何らかの法則によって順番に発音することでコトバを表現します。

伊藤和夫師の「左から右へ読む」は、こういった言語学の知見に基づくものだと考えられるのです。

「左から右へ読む」方法論

そうは言っても、日本語を話す人が英語を読む時、簡単に「左から右へ読む」ことはできません

日本語と英語は「語順」が違うからです。

単純に英語の単語を1語ずつ日本語に入れ替えると、へんちくりんな訳文ができあがります。

そこで後ろから返って読む「返り読み」というものが発生するわけですね。

伊藤和夫師が「左から右へ読む」ために生み出した方法論が、「予測と修正」というものです。

英文を読むにしたがって理解していき、途中でその読み方が文法的に無理であることに気付いた段階で修正していくというものです。

例えば、文の最初に名詞が出てきたら、それは主語であると感じられます。

前置詞が出てきたらその後には名詞があるはず。そして前置詞+名詞は主語ではないので、その後に出てくる名詞が主語ではないかと考える。

このように読みながら文の構造を予測していくわけです。

こうした「予測と修正」の考え方を提示したのが、伝説的名著『英文解釈教室』なのです。

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富田一彦の「全体を見よ」という読み方

伊藤和夫師の方法論はその後、駿台だけでなく予備校業界に深く浸透し、多くのフォロワーが生まれました。

この中で独自の読解論を打ち立てた一人が、代々木ゼミナールの富田一彦先生です。

富田先生は英文を読む時には「全体を見よ」ということを強調します。

「部分だけを見るから間違えるんだ。まず英文の全体を見ろ。最後まで読まなければ文の意味なんてわからないよ」というわけです。

そんな富田先生の隠れた名著に『7日間で基礎から学びなおす カリスマ先生の英文解釈』という本があります(現在は電子書籍版のみ入手可能)。

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この本は受験参考書ではなく、一般向けに書かれたものなのですが、富田先生の考え方がわかりやすくまとまっているので、ぜひ読んでみてください。

この本で富田先生は、「人はみんな、自分は言葉を『前から順に』理解している、と思い込んでいる」と書いています。

もし、前からすべてが決定されると言うなら、たとえば、
 彼はいつも$$$$$$$$$$。
という文の$$$$$$$$の部分がどのような意味か予想できるだろうか。
(中略)

人間ははじめに言葉を見た瞬間から全体を見渡しており、その全体像の中で最も合理的な選択肢をはじめから探すものだからである。

富田一彦『7日間で基礎から学びなおす カリスマ先生の英文解釈』(PHP研究所)

つまり、コトバというのは最後まで読んでみないと何が言いたいのか予想なんてできないということですね。

そして、人間というのは最初から全体を見渡してから物事を理解しているのだと。

確かに上記の例にもあるように、人は必ずしも前から順に意味を理解しているわけではないですし、文の最後に何が書かれているかを正しく予想することもできません。

部分部分だけを見て、全体をとらえないと間違った理解をしてしまうというのも、おっしゃる通りです。

富田先生といえば「動詞を数える」という方法が批判されることが多いですが、まず全体を見て構造をとらえると言われれば確かに説得力があります。

(※ちなみに、伊藤師に言わせれば、後ろに何があるかは文法的にある程度予想ができるということになります。実際に、人の話を聞く時に相手が次に何を言うのか頭の中で予想しているというのもよくあることですね)

「左から読む」か「全体を見る」か

これは単純に「返り読みを許容するかどうか」の話に見えますが、実はもっと深い話です。

伊藤師は「コトバは音楽に似ている」と言いましたが、富田先生はコトバを「絵」のように全体を眺めるべきものだととらえているのでしょう。

つまり、伊藤師と富田先生は英文の構造を解析して読んでいくという点では似ているのですが、根本にある「言語観」というか「哲学」のようなものが異なるのです。

伊藤師の「言語の線状性」をもとにした読み方も説得力がありますが、富田先生の「人は言葉の全体を見ている」という指摘もなるほどと思わされます。

単純な方法論の違いであれば、「どちらが正しい」「どちらが優れている」と言うこともできますが、言語のとらえ方が根本的に違うとなると、もはやどちらが正しいとも単純に言い切れない話になってきます。

もちろん、伊藤師の「予測と修正」というのは非常に優れた方法で、「返り読み」をしないので読むのも速くなります。

また、富田先生の「全体を見る」という方法も非常に有益な視点を与えてくれます。

この際、どちらが正しいかどうかはさておき、方法論としてどちらも使えるところは使い、参考にしていくというのが良いのではないでしょうか。

そして、参考書マニアとしては「どっちの参考書も面白がる」というのが正しい姿勢ではないかと思いますw

コメント

  1. DDLION より:

    「音楽」と「絵」の対比、なるほどと思いました。面白いです。
    ただ、伊藤師と富田師は、互いに対立しているというよりは、「言語の持つ二つの側面のどちらをより強調するか」が違ってるだけなんじゃないか、と思います。
    前から順に読む?それとも全体を見て判断する?と聞かれたら、どちらの先生も「そりゃ両方ともやるよ!」と仰るように思います。生徒に教えるときの強調点の違いなのかな、と思います。
    伊藤師の時代は、漢文訓読法的に思いっきりひっくり返って解釈していく方法がまだまだ幅をきかせていたので、ああいう表現になったのではないかと思います。

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