かなり間があいてしまいましたが、前回の記事の続きです。
80年代に入ると、大学受験生の数が大幅に増え、代々木ゼミナールなどの大手予備校は大きく成長します。
そんな中で、「講師の代ゼミ」と呼ばれた代ゼミでは新しい世代の講師が台頭し、代ゼミ独特の文化が花開くことになります。
1980年代後半~90年代前半:土屋博映と花開く予備校文化
受験生の数が多かった80~90年代前半は、まさに予備校文化が花開いた時代と言えるでしょう。
この時代の代ゼミを代表する講師としてまず名前が挙がる一人が、古文の土屋博映先生です。
土屋先生はテレビの人気クイズ番組『わくわく動物ランド』の初代レギュラー回答者など、予備校だけでなくテレビ・ラジオなどのメディアでも引っ張りだこのタレント講師でもありました。
今でこそ、お林先生のように予備校講師がテレビに出るのは普通ですが、土屋先生はその先駆者なんですね。
500人の受講生が待つ大教室で、「ツチヤコール」を浴びながら教室入り。授業が始まると爆笑トークで教室を沸かせて、歌いながら紙吹雪をまき散らす――。
テレビや雑誌で取り上げられたこうした派手な授業シーンは、メディア向けに誇張された演出であったとも言われます。
でも、土屋先生は授業のパフォーマンスが注目されて、人気になったというのは事実でしょう。
今の予備校では絶対に見ることができない、このような講師と受験生が生み出す「熱」こそが、代ゼミの「予備校文化」の核だったと言えます。
この当時の代ゼミは、アカデミックなイメージのある駿台と比べて、土屋先生に代表されるパフォーマンス先行のイメージがあったのではないかと思います。そういう意味では、代ゼミと駿台の「予備校文化」は対極にあったのかもしれません。
ところが、土屋先生は「跡見学園女子大学短期大学部教授」という学者としての顔も持っていたのです。(※1983~88年は助教授)
『小学館 全文全訳古語辞典』の編集委員も務め、専門である日本語学の学者としての仕事もしっかりされていました。
土屋先生が書いた参考書は、一部では批判もありましたが、日本語学の専門家としての知識に裏付けられた優れたものだったと思います。(2024年時点で、土屋先生の参考書はほぼ絶版になっているのが残念)
土屋先生はこんなことも言っています。
ボクは直前ゼミというのをやっています。(中略)あのテキストでああいうことをやって下さいって言われるんだけど、実は無理なんですね。なぜか。一学期はハバ広く、大らかな勉強をやらなきゃダメ。例えば徒然草を一冊ゆっくり読んでみる。それは予備校の授業をやった上に、ですよ。精読のうえでの乱読というやつです。(『広告批評 72』マドラ出版,1985-05.「名物講義再録」より引用)
「徒然草を一冊ゆっくり読め」なんて、今では「コスパが悪い」と言われそうな勉強法ですが、意外にも土屋先生はそういう「大らかな勉強」が必要だと言うんですね。
土屋先生は「直前の土屋」と呼ばれるぐらい、「直前ゼミ(※受験の直前に行われる講習)」が人気でした。
それで受験生は「直前」のようなテクニック満載で即効性のある授業を求めるわけですが、しっかりとした基礎を1年間積み重ねたうえでないと意味がないというわけです。
派手なパフォーマンスの裏で、こうした着実な教え方をしていたということは注目に値します。
代ゼミには「森久」がいた
対照的だと思われがちな代ゼミと駿台の「予備校文化」ですが、共通している部分もあるのではないかと思います。
この当時の代ゼミは、実は駿台に負けないぐらい、大学の先生を兼任している講師が多かったんですね。
土屋先生以外にも、現代文講師「森久」という名前で教えていた森島久雄先生(文教大学教授・教育学者)という方がいました。
代ゼミの現代文といえば、堀木博禮先生や田村秀行先生が有名ですが、森久先生は大学との掛け持ちという事情からかパンフレットに写真を載せることもなく、実名も出せないにもかかわらず、隠れた名講師として当時の代ゼミで知られていました。
堀木・田村の二大看板が東大・早大受験生に人気だったのに対して、森久先生は下位のクラスを多く受け持ち、「苦手な人にも手を差し伸べてくれる神様のような講師」(『私の大学合格予備校作戦1989年度版』エール出版)という評判でした。
実は森島久雄先生は国語教育学が専門で、国語教育についての著書を何冊も出しています。
つまり、「教育学者・森島久雄」はアカデミズムの世界で国語教育の理論を研究しつつ、「予備校講師・森久」は予備校という場において「苦手な人」に対して実践を行っていたわけです。
また、その人情味あふれる雑談は多くの受験生を引き付けたとも言われます。
今でもネットでは、森久先生を「人生の師」としている方が代ゼミの思い出を語る文章を見かけることがあります。
森島久雄先生は国語教育についてこんなことも書かれていました。
要するに、国語科教育は、あくまで現代日本語を扱いながら、それを獲得し、それを使いこなす能力を伸ばす、そして、そのことを通して子供たちの認識を豊かにし、思考力・想像力を養うという多面性を持つ教科である。(『文教大学国文 15』文教大学国文学会,1986-03. P.41~51森島久雄「現代国語科授業論―その一」)
国語によって日本語の能力を伸ばすだけでなく、それを通して思考力・想像力を養う。こうした考え方は駿台の奥井潔師にも通ずるものがあります。
駿台に奥井潔師がいたならば、代ゼミには「森久」先生がいたと言えるかもしれません。
土屋博映先生や有坂誠人先生のような派手な活躍をした講師ばかりが注目されがちですが、森久先生のような存在も代ゼミの「予備校文化」のもう一つの側面として確かにあったのです。(次回に続く?)
↓森島久雄先生による国語教育についての著作は現在も入手可能です。
参考文献:『広告批評』(72),マドラ出版,1985-05. P.38~41土屋博映「勉強の面白さを教えたい」,P.45~57「名物講義再録」国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1853037
エール出版社 編『私の大学合格予備校作戦 : 一流大学合格者による講師・教材・模試ズバリ採点』1989年版,エール出版社,1988.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12058832
『文教大学国文』(15),文教大学国文学会,1986-03. P.41~51森島久雄「現代国語科授業論―その一」国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/4420550
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